お風呂の時間が苦手でした。
服を脱ぐところから身体を洗うところ、服を着るところまでが監視下です。
産後1カ月未満だったので、私は湯船に入れませんでした。
寒くて震えたけれど、そんなことよりも視線にさらされての入浴は辛かった。
髪を洗っていても、きちんと洗えているか分からない。
この時もまだ頭と身体がバラバラで、自分の身体なのに他人の物のようでした。
憂鬱な入浴時間の中で、彼女はひときわ目を引きました。
チハラさんという女性は見た目は30代くらいで、明るいボブヘアー。
ひょっとしたら20代かもしれませんが、話をしたことがないので分かりません。
というか、誰とも話をしないのです。
それどころか、私は入院していた1カ月間、1度も彼女の声を聞いたことがなかったのです。
ぼうっとうつむいて立ったまま、チハラさんは看護助手さんの手によって洗われていきます。
それどころか、服を脱いだり着たりするのも介助されていました。
チハラさんの身体が不自由というわけではなく、自分で入浴する意思がないのです。
拒否しているわけでもなく、ただただ従順にされるがまま。
日中は個室から出てくることはなく、食事の時だけ食堂に連れてこられます。
食事は食べられてますが、片付けなどは一切しません。
食べ終わったら食器をそのままに、薬だけ飲んで自分の個室に戻ります。
言葉を忘れてしまったのか、声にすることを封じてしまったのか。
いつだったか、チハラさんが外泊したことがありました。
外へ出るには主治医の許可が必要です。
そして、外出・外泊するにも自分から主治医に申告するというルールです。
ひょっとしたらチハラさんは、主治医の前では話すのではないだろうか。
そんな疑問が湧きましたが、確認するすべなんてありません。
そんなチハラさんが、1泊だけして病棟に戻ってきました。
ご両親らしき2人に両腕を抱きかかえられるような形で、ほとんど引きずられるような状態です。
何があったのか、どういう状況なのか分からないまま、看護師さんに引き取られて個室へと消えていきました。
あぁ、チハラさんは、自分の意志で外泊したんじゃないんだな。
きっとご両親の意志で決まったことだったんだろうな。
彼女にとって、外の世界はここよりもっと生きづらいんだ。
なんとなくそう思ったら、なぜか納得しました。
何も話さず人形のように生きるチハラさん。
心がどこかへ行ってしまったチハラさん。
きっと彼女も常連さんです。
今、どこでどんな風に生きているのか。
6年経った今でも、ふとした瞬間に彼女うつむいた横顔を思い出すのです。
産後うつ入院生活6日目。何もしない彼女
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