産後うつ入院生活5日目。私と同じで同じじゃない人

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サトウさんは私と同年代か、少し下の女性でした。

彼女が私より先に入ったのか、あとに入ったのかは分かりません。

というのも、サトウさんは数日間隔離室にいたからでした。


「入院同意書書くとき、その紙をビリビリに破いてやったの」


のちに彼女本人から聞いたのですが、そのせいで観察室から出た後は隔離室にいたそうです。

隔離室については入らずに済んだので、内装がどうなっているかは分かりません。

ただ、ドアは外から施錠されていています。

恐らくですが、ほとんど観察室と同じ造りだと思います。

彼女は入院に、非協力的で反抗的だと判断されたのでしょう。

そのせいで、外に出られなかったのだと言いました。

サトウさんは、私と同じ産後うつで入院したのです。

患者同士で個人情報を話すのは推奨されていませんでしたが、私と同じだというのは話さなくても分かりました。

彼女が着ていたのは、授乳用のパジャマでした。

その時私が着ていたのも、授乳パジャマだったのです。

授乳パジャマがどういうものかというと、上が前開きのものです。

パジャマを脱がずに授乳できるよう、胸の部分にスリットが入っているのです。

その頃の私はまだ、朝起きて服に着替えるという行為が出来なかったので、日中もずっとパジャマでした。

着替えられるようになったのは、もう少し後になってからです。

ソファに座って窓の外を見ていたサトウさんは、近づいてきた私を見て言いました。


「同じ?」

「同じ」


私は言いました。

たったひと言で、自分たちが何なのか分かったのです。

私はサトウさんと抱き合って泣きました。

二人とも嗚咽を漏らして、静かに泣きながら抱きしめあったのです。

初対面の人に、こんなにも同調できたことはありませんし、きっと今後もないでしょう。

あの時の心の震えは、今でも鮮明に思い出せます。

少しだけ話をしてみると、やはり私と同じ産後うつでした。

サトウさんの娘さんは12月生まれだったので、1月生まれの娘とほとんど変わりません。


ただ、当たり前だけど同じ境遇ではなかった。


私は娘を里親さんに預かってもらっていますが、彼女は実家でご両親が育てているのだと聞きました。

来週にはお宮参りがあるから、外出予定だとも聞きました。


ずるい。

羨ましい。

妬ましい。


ついさっきまで、限りなく同じ苦しみを抱く同士だと思っていたのに。

私の心の中は、どんどん黒いもので塗りこめられていったのです。

そして彼女はお宮参りの外出を契機に、どんどん外泊を重ねるようになっていきました。

最初の外出が、いい方向へ向いたのでしょう。

病棟で見かける日も少なかったです。

反対に私は、外出すらしたいと思えませんでした。

外へ出てどうするの?

そんな思いと、あまりにも病棟が不自然な安全で保たれていたからです。


あぁ、ここは外に出られないけど、外の怖いものに触れなくていいんだ。


病室のベッドの上で、シーツにくるまって泣きました。

サトウさんを羨ましいと思っていながら、娘に会いたいと思えなかったのです。

それが本当に悲しかった。

私は母親失格だ。

母親になっちゃ駄目だったんだ。

ずっと子どもが欲しくて、授かって。

毎日お腹の中に向かって「大好きだよ」って言いながら過ごしてきたのに。

辛くて仕方がなかった妊娠後期も、もうすぐ我が子に会えるんだと思って頑張ったのに。


どこで何を間違えたのだろう。


泣きすぎてまぶたは腫れるし、頭がすごく痛かった。

私はふらつきながらナースステーションへ行き、鎮痛剤をもらって飲みました。


今なら少し眠れるかもしれない。


泣きすぎて疲れた身体をベッドに横たえ、瞼を閉じました。

意味がないと分かっていても、頭の中だけでもどこかへ逃げたかったのです。

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