個室生活が耐えられなくて、私は早々に4人部屋を希望しました。
まだ入院してきたばかりだし早いかなと思ったのですが、幸いなことにすんなりと希望が通りました。
個室はドアを閉めてしまえば、外部から遮断されます。
プライバシーが守られるというメリットはあるでしょうが、私にはそんなものは必要なかったのです。
ただただ怖かった。
1人でいるのが怖くて、寝る時以外はずっと食堂にいました。
だから4人部屋に移れて、とても嬉しかったのです。
そこには50代くらいの女性と年齢不詳の女性がいました。
50代くらいのアイダさんはずっと眠っている人で、年齢不詳のイイノさんは常にどこかへ出かけている人でした。
出かけるといっても、ここは閉鎖病棟。
その辺を歩いていたり、食堂にいたりするくらいです。
のちに空きベッドに1人の女性が入ってくるのですが、それはまだ先の話。
静かな3人部屋で、私はやっと落ち着くことができたのです。
精神科病棟といっても、普通の病室と大きな変化はありません。
個人用のテレビがないくらいでしょうか?
私はそれまで産婦人科にしか入院したことがなかったので、一般的な入院生活がどういうものか分かりません。
ただ、さすがにこれは他と違うだろうなというのは分かりました。
例えば、ベッドを仕切るカーテン。
着替える時以外、カーテンをしてはいけない決まりでした。
もちろん寝る時もです。
さすがに寝る時は、両サイドのカーテンを半分くらいしても問題ありませんが、完全に外から見えないようにすることは禁止されていました。
誰がどこにいて何をしているか。
それを把握するためです。
1時間ごとに看護師さんや看護助手さんが、【所在確認】をして回っています。
明け方だろうが夜中だろうが、関係なくです。
私は寝る前に眠剤を処方されていたのですが、それでも眠れないときは、追加の眠剤をナースステーションにもらいに行くことがありました。
その時に懐中電灯を片手に見回っている看護師さんの姿を見て、こんな時間までしていたのだと知ったのです。
プライバシーなんてないと書きましたが、唯一存在したのがトイレとシャワーブースです。
トイレは言わずもがなですが、シャワーは本当に助けられました。
2日に1回、集団で入浴の時間があるのですが、看護助手さんが総出で待ち構えています。
私はまだ産後1ヶ月経ってなかったので、湯船に入れません。
髪を洗って身体を洗って、それで終わり。
寒さで震えながら着替えました。
浴室は、たくさんの人と視線に晒されて、リラックスどころかストレスでした。
のちに予約制のシャワー利用ができることを知り、みんなと一緒に入浴をしなくて済むことになります。
このシャワーを使用している時間(15分)のおかげで、私は
「ここは自分の居場所ではないのだ」
と自分に言い聞かせることができたのです。
プライバシー空間が欲しい。
でも、1人にはなりたくない。
つまり、前提が違うのです。
自分が安心できる場所で、自分の意思で1人になれる場所が、プライバシー空間なのです。
そういう意味では、トイレとシャワーと、眠っている状態だけが私だけの1人の時間でした。
それ以外は常に人目があり、監視があります。
ここはそういう場所なんだ。
朧げな頭でも、流石に理解できました。
食事をしている周りには、看護師さんや看護助手さんが立っています。
ちゃんと食べているか、おかしな行動はしていないか。
おかしな行動というのは、カトラリーを持ち出さないかという意味です。
お箸、フォーク、スプーン。
食べ終わったら、それらを所定の場所に戻します。
そこには必ず、看護助手さんがいました。
凶器として持ち帰らせないために。
ペンの持ち込みに主治医の許可が必要なように、お風呂のスポンジがボディタオルじゃダメなように。
自傷他害の恐れがあるから、徹底した危機管理がなされている。
何が危険物になるか分からない。
そういうことなのです。
ひょっとして、所在確認というのは生存確認の意味もあるのでは?
そう気づいた時、私は何か苦いものが胸の奥に溜まった感じがしました。
翌朝、年齢不詳の女性が消えていました。
「イイノさん、夜中にシャンプー飲んじゃったのよねぇ」
アイダさんはのんびりとした声で、呆れたように言いました。
シャンプーを飲む?意味が分からない。
そう思うと同時に、アイダさんの落ち着きぶりを怖く思いました。
これは非常事態ではなくよくあることなんだと、また苦いものが滴り落ちたのです。