個室に移って私が最初にしたことは、個室を出ることでした。
単純に1人でいることが怖かったのです。
バストイレなしのビジネスホテルくらいに快適でしたが、とにかくひとりでいたくなかった。
私は個室を出て、すぐ近くの食堂へ行きました。
食堂兼フリースペースは、東エリアと西エリアの双方の患者さんが集まります。
ちなみに私は東エリア。
東西でどのように患者が分類されているのかは分かりません。
そこにはたくさんのテーブルと椅子が並べられていて、中央には太い柱がありました。
大きなテレビが前方に2つあって、雑誌や新聞が置かれている棚もあります。
窓際にはソファもあって、とても日当たりが良かったです。
そのすぐ隣がナースステーションで、こちらも東と西とで1つずつありました。
私はすることがなく、話す相手もいない新参者。
とりあえずテレビを見ようと思って、適当な席に座りました。
けれど、まるでメリーゴーランドでも見ているみたいに、映像が左から右へとどんどん流れていくのです。
見ていたら目が回りそうなので、テレビを見ることを諦めました。
次に雑誌を読もうとしました。
何の雑誌だったかは覚えていないのですが、写真と文字があったのだけは覚えています。
というか、それしか分からなかったというのが正しいでしょう。
文字が読めても次の瞬間には、頭の中からこぼれ落ちていくのです。
たった一行読んでも覚えていられない。
それどころか、文字がぐにゃりと波のように歪んで見えます。
私は雑誌を読むことも諦めましたが、そうなると本当にすることがありません。
周りを見渡すと、折り紙をする人や塗り絵をする人。
漫画を読む人やテレビを見る人。
日向ぼっこをする人や、ただ座る人など多種多様です。
そしてそこには患者さんだけでなく、看護助手さんが数人いました。
一緒に雑誌を読んだり折り紙をしたりしていました。
私は何をすればいいのだろう?
入院中、実はこれが1番分かりませんでした。
そして1番辛かった。
何もしないというのがこんなに辛いのだと、私は人生で初めて感じたのです。
もし手元にスマホがあれば、全く状況は違ったのでしょう。
今の私は紙に書くペンすら持たせてもらえない立場でした。
ペンは危険物という扱いだったので、主治医の許可がなければ持ち込めません。
塗り絵用の色鉛筆は貸出し制で、鉛筆削り機はナースステーションで管理していて、そこでしか削れない仕組みでした。
ちなみにペンは、割とすぐに解禁してもらえました。
けれど、自分で書いた文字さえ読めないのですから、もうお手上げです。
それでも頑張って日記のような散文を書き続けましたが、文字らしい文字を書けるのに時間が必要でした。
私は何もすることがなくて、本当になくて…
苦し紛れに人間観察を始めました。
年齢層が恐ろしく広く、10代子どもから80代くらいのお年寄りまでいます。
男女比も半々くらいだったでしょうか。
そんな中、私は1人の女性に目が止まりました。
その人は胸元くらいまでの黒髪に、ほっそりとした年齢不詳の方でした。
空調が効いてる室内に似つかわしくない、冬用の茶色のトレンチコートを着ていました。
ガラス扉の近くに座り、持ち込み不可のガラケーを両手に持って、笑顔で座り込んでいたのです。
よく考えたら怖いなと思うかもしれません。
ですが、その時私はずっと座ってて何をしてるんだろう?としか思えませんでした。
のちに母と夫から、お見舞いのたびにその女性の前を通らなければいけないのが嫌だったと言っていました。
繋がるどころか充電さえ切れているだろうガラケーを、どうして大切に持っていたのだろう。
どうして室内なのにコートを着ているのだろう。
どうしてそこに座っているのだろう。
入り口に座っていたところで、医師か看護師しかドアの鍵を持っていないのに。
病棟の窓は20センチも開けられません。
外への唯一のドアは施錠されていて、鍵がなければ絶対に出られないのです。
ここから逃げることなんてできない。
あのドアの外へ行くには、主治医の許可が必要です。
だけど私は、隔絶されている状況に対する嫌悪も、自由に外へ出たいという意思もありませんでした。
ただあったのは、不気味なほどに起伏のない感情。
自分がこれからどうなるのか、わが子がどうしているのか。
入院したら思考が停止してしまったのです。
早くここを出て娘に会いたいと思いませんでした。
働かない頭、起伏のない心、自分のものではないような身体をなんとか繋ぎ合わせて、私はついさっき出てきたはずの自分の部屋を探しに席を立ちました。