産後うつ入院生活2日目。日常生活の仕方を忘れる

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観察室から個室に移って、何をすればいいか分からない私に、実は1つだけしなければならないことがありました。

それは、1人に1台貸し出される可動式のテーブル付きの引き出しに、持ってきた荷物を仕舞うことです。

・着替え、パジャマ
・タオル(フェイスタオルとバスタオル)
・ナプキンと清浄綿(産後で膣から血が出るため)
・BOXティッシュ
・ハンドソープ
・プラスチックのコップ(名前書く)
・歯ブラシ
・お風呂セット(湯おけ、ボディソープ、シャンプー、コンディショナー、洗顔フォーム、スポンジ)

このスポンジというのが厄介で、探すのに苦労したそうです。

というのも、ボディタオルや紐のついたシャボンボールは危険物扱いでした。

だから、スニーカーのような紐のついた靴も駄目だったし、ベルトも持ち込み不可でした。

私はこれらの身の回り品を、引き出しに仕舞わなければなりません。

私を部屋に案内してくれた看護助手さんから、


「自分でできなかったら声かけてね」


と言われていました。

その時は、自分でできないなんてある?

と聞き流したのですが、まさか本当にできない事態に陥るとは思わなかったんです。


「あれ…どうやって仕舞うんだっけ?」


洋服を手に持ったまま、ベッドに腰かけて動けなくなりました。

棚も引き出しも十分にあるのに、たった3日分の服を仕舞えなかったのです。


服はとりあえず後回しにして、タオル…タオルなら簡単なはず。


震える手で悩みに悩んで、やっと扉付きの棚の中に仕舞えました。

そうして、少しずつ時間をかけてやっとすべてを1人で収納できたのです。

時計を見れば、結構な時間が経っていました。

時間に関しては恐ろしいほどに、私は神経質になってしまっていたので、1時間近く過ぎていたことに絶望しました。

看護助手さんの言っていた通り、手を借りるべきだったのかもしれません。

けれど私は、仕舞い方が分からなすぎて泣きそうになっていたくせに、手伝ってくださいのひと言も言えませんでした。

こんなことはできて当たり前なのに、手を借りるなんて恥ずかしい。

と思ったわけではなく、誰かに自分の意思を伝えるという当たり前の行動が、極限までできなくなってしまっていたのです。


「どうしちゃったんだろう…私、どうしちゃったのかなぁ…」


今度こそ、ぼろぼろと泣いてしまいました。

引き出しに仕舞えなかった靴下が、テーブルの上に残っていました。

収納スペースが足りないのではありません。

下着と一緒に仕舞うべきか、洋服と一緒に仕舞うべきかが分からなかったのです。

そんなのどっちでもいいじゃないか。

今の私なら呆れてしまいますが、当時の私には大問題でした。

どこに仕舞ったっていいはずなのに。

どちらかと一緒に仕舞わなければならないという、固定観念がありました。

むしろ、どちらかと一緒に仕舞わなければ駄目だという、強迫観念に近かったです。


「〇〇しなければならない」


私の思考回路はそれでいっぱいでした。

3時間おきに授乳をしてミルクをあげなければいけない。

寝ていても起こして飲ませなければならない。

オムツはこまめに替えなければならない。

沐浴は日中に済ませなければならない。

母乳を出すためには水分を摂らなければならない。

ご飯をちゃんと食べなければならない。

赤ちゃんより先に起きなければならない。

泣いたら早く泣き止ませなければならない。

18時には寝かしつけなければならない。


だって、私がしっかりしなければ、この子が死んでしまう。


「靴下、どうしよう」


もう考えすぎて頭が痛くて、私は1番上の何も入っていない引き出しに仕舞いました。

涙と鼻水とで顔はベタベタで、ティッシュで何度も鼻をかんで涙を拭きました。

そして、持ってきたばかりのボックスティッシュが少し減ったことに、私はどうしようもない不安を感じたのです。


このティッシュが今日終わってしまったらどうしよう。


たったそれだけのことが、不安で怖くてまた涙が出てきました。

どうせナースステーションに行って頼めばもらえるだろうに、その考えがまったくなかったのです。

本当に馬鹿みたいな話ですが、当時の私には切迫した問題でした。

この消耗品が足りなくなるかもしれない問題は、しばらく根強く続きました。

それが大丈夫になったのは、半月ほどして外出許可をもらえるようになってからの話です。


「透兎さーん、夕食の時間ですよー」


ベッド近くの壁にある、呼び出しブザーから声がしました。

気づいたら18時で、夕食の時間だったのです。

忘れたら駄目だ。

お腹が空いていなくても、食事の時間には食堂に行かないといけないんだ。

時間を忘れていたことがひどくショックで、私はそれ以降、今何時かと常に時計を見るようになりました。

母に小さな置き時計を用意してもらいました。

それを常に目に入りやすいところに置き、寝る時は枕元に置く生活が始まったのです。

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